本当の自分って何だろう?
前回からの続き…(前回の記事はこちらから>>)
私はえみです
私は女性です
私はヨガインストラクターです
今日は右肩の調子がいい
昨日は悲しいこと・ウレシイことがあった
など、自分を表現する方法はたくさんあり、そのほとんどが「変化する」ものです。
私にとって「変化する」ことは刺激的で興味深い反面、SNSからの情報や、身近な人に対して「あの人変わったなー!すごいな。でも私にはできない…」のように、自分にジャッジを下して自己否定し、苦しみの原因にもなっていました。
インテグラル・ヨーガでは「変化しないもの」について記されていて、一番助けになった教えがあります。
【あなたはまぎれもないかの<見る者>である。
あなたは身体でもなく、心でもない。
あなたはいつも、自分の心と身体が目前で行為しているのを見る。
あなたは、心が、思考を、識別を、そして欲望を生み出すことを知っている。
<見る者>はそれを知っているが、それに巻き込まれることがない。】
とあり、私の内側に存在する<見る者>=<本当の自分>は巻き込まれず、ただそこに「ある」だけなのだと。ジャッジもしないし、ただ「ある」だけ。
経験や知識、認識が引き金になり、目の前のことに対して心を揺れ動かし波立たせているのは<本当の自分>ではないということ。
心の波が静まってリラックスしている時、ただ「ある」不変の存在に気づけるのだと教えてくれました。そして、その不変な存在は平安に満ちていると知り、大切にしたいと感じるようになりました。
ヨガのポーズや呼吸法は、変化し続ける身体や呼吸に意識を向け、観察していく作業です。<見る者>であることを思い出すように。この間は、どうしても他の事を考えられなくなります。過去のことや、ランチに何食べようかな?ということも。
そしていつしか繊細な感覚も身に付いていくので、マット上の出来事が、自然と日常生活に染み出てくるようになっていきます。その逆もあって、日常の癖がヨガの練習に現れることも。(このことはあらためて書きますね!)
「私と思っている私は私ではない」
という師の言葉が、思い返されます。聞いた当時はさっぱり意味が分からなかったのですが、今は感じはじめています。
ヨガのポーズや呼吸法を通して、本当の私がただそこにあり平安であることを。
気分爽快!という感覚が気に入ってはじめたヨガの道ですが、今となっては<見る者>の存在を知るために、ヨガに辿り着いたような気がしてなりません。
